55年体制とは

参考:「55年体制」時代の総理大臣

55年体制とは

1955年(昭和30年)、

保守系の自由民主党(自民党)が3分の2くらいの議席を占め、

革新系の日本社会党を中心とする野党が残りの議席を占めるという、

とにかく自民党が政権を握り続けた政治体制で、1993年まで続きました。

1955年に、社会党右派と左派の再統一により、革新系が統一されました。
同年、日本民主党と自由党が保守合同により自由民主党が誕生したことでこのような体制になりました。

民主党も自由党も、平成になってからできたりしましたが、それらとはまた違う政党です。

二大政党制と言えなくもないですが、国会での勢力比がだいたい2:1だったため、「
一と二分の一政党制(一か二分の一政党制)」などと言われました。

昭和の報道番組に出ていたおじさんたちは、「いっかにぶんのいちせいとう」とよくいっていたように記憶しています。

自民党は、常に過半数を確保し、安定した政権となりましたが、
憲法改正に必要な3分の2以上の議席は確保できませんでした。

政権交代も憲法改正も起こらない、絶妙なバランスを保っていました。

55年体制時代の衆議院議員選挙の議席数

選挙の年 自由民主党 日本社会党 定数
1958年 287 166 467
1960年 296 145 467
1963年 283 144 467
1967年 277 140 486
1969年 288 90 486
1972年 271 118 491
1976年 249 123 511
1979年 248 107 511
1980年 284 107 511
1983年 250 112 511
1986年 300 85 512
1990年 275 136 512
1993年 223 70 511

自民党が単独過半数を取れない時もありましたが、
創価学会を支持母体とする公明党(1964年結党)
日本社会党の一部から分離した民主社会党(1960年結党)などと連立政権をくんで、与党を維持しました。

日本社会党は、3分の1どころか5分の1くらいになっている年もありますが、野党第1党は維持していました。

1993年の衆院選でも。第1党は自由民主党、第2党は日本社会党でしたが、政党としては5番目の獲得議席(35議席)の日本新党党首、細川護熙が総理大臣となりました。

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