江戸幕府第11代将軍 徳川家斉 年表

江戸幕府第11代将軍 徳川家斉 年表

1773年 一橋徳川家、治済の長男として生まれる
1781年 10代将軍家治の養子になる

参考:江戸幕府第10代将軍 徳川家治 年表

1786年 10代将軍家治死去
1787年 将軍宣下
1787年 田沼意次を罷免し、松平定信を老中首座に
1788年~尊号一件
1789年 島津重豪の娘・近衛寔子と結婚
1793年 松平定信を罷免
1808年 フェートン号事件
1808年 間宮林蔵が樺太を探検
1818年 水野忠成を老中首座に
1824年 5月、大津浜事件
1824年 8月、宝島事件
1825年 異国船打払令
1827年 太政大臣に昇進
1834年 水野忠成死去、水野忠邦を老中首座に
1837年 大塩平八郎の乱
1837年 将軍職を次男・家慶に譲る(大御所政治)
1837年 モリソン号事件
1839年 蛮社の獄
1841年 死去

将軍在位50年、江戸幕府だけでなく、歴代の征夷大将軍でも最長です。
政務を幕閣に任せ、大奥に入り浸るなど、「俗物将軍」と言われました。

寛政の改革のような綱紀粛正策を取らず、放任政策をとったため、結果的に化政文化という町人文化が花開きました。

男子26人・女子27人の子供をもうけましたが、これは嫡子が居ない将軍が多かったため、血を絶やさないようにという配慮も遭ったことでしょう。

しかし、多くの子供を養子に送り込んだため、幕府財政が傾いたと言われています。

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