戦争を変えた電信技術
「逆説の日本史22 明治維新編」を読んでいた所、
西南戦争で、電信が使われていることを初めて知りました。
明治維新からたいして時間が経っていないのに、随分近代化しているなーと思いました。
まあ、明治10年なので、それなりには江戸時代から変化しています。
大政奉還のわずか2年後、明治2年(1869)に東京-横浜間で電信が開通したのが、日本での電信の始まりです。
明治6年(1873)、東京-長崎間の電信が開通しました。
西南戦争が起こった明治10年(1877)には、北海道から長崎までの電信が開通していました。
現代の電話線→ISDN→ADSL→光ケーブルを彷彿とさせるスピード感です。
とはいえ、電話の開始は明治22年(1890)とまだまだ先です。
新政府側は、電信を使って情報をやり取りし、戦争を有利にすすめることができました。
当時は無線通信はなく、電信線が切られたら通信ができませんでした。
明治12年(1879)の電報通信量は、官報、事務報、私報をあわせて165万通だそうで、必要不可欠なインフラとなっていることが窺えます。
西南戦争までの文明開化年表
civilizationを「文明開化」、
Telegraphを「電信」と訳したのが福沢諭吉だそうです。
明治2年(1869) 東京-横浜間で電信による電報取扱開始
明治3年(1870) 堺でレンガ工場設立
明治4年(1871) 東京-大阪間で郵便開始
明治5年(1872) 新橋-横浜間に、日本初の鉄道が開通
明治5年(1871) 大阪でガス灯点灯
明治5年(1872) 富岡製糸場操業開始
明治6年(1873)1月1日 太陽暦採用