疫病(天然痘)で百万人死亡?権力者にも容赦なし
天平7年~9年(735~737年)にかけて、奈良時代の日本で天然痘が大流行しました(天平の疫病大流行)。
天然痘は、現在では根絶されたウイルス感染症ですが、
当時の人々は、当然ウイルスの存在など知りません。
歴史学者の推計では、当時の総人口の25~35%
100万人~150万人が死亡したと言われています。
当時、実権を握っていた藤原四兄弟が全員感染して死亡し、
他にも、貴族たちが死亡したため、朝廷は混乱に陥ったほどだそうです。
当時の人々は、人形(ひとがた)や土馬(どば)などを使って
疫病が退散するように祈願していたようです。
疫病に対する知識はあった?意外としっかりした指示
この時代の疫病対策としては、祈祷のようなものしかないと思いましたが、
737年当時の太政官符には、
・今回の疫病は赤斑瘡という
・冷水を飲みたがるが、決して飲ませてはいけない
・布・綿で腹・腰を巻き、冷やしてはいけない
・重湯や粥や粟汁などを、無理をしてでも食べさせる
・鮮魚・冷肉・果物・生野菜・生水・氷はNG
・回復後も20日間は鮮魚・冷肉・果物・生野菜を摂取してはいけない
・インチキな薬、効力のない薬を買い求めて飲んではいけない
など、意外と具体的な指示が出されています。
墾田永年私財法も疫病の影響
743年に発布された、「墾田永年私財法」は、人口の激減で食糧生産が危機的な状況にあったことが背景にあると言われています。
農地の私有を認めることで、農民に勤労意欲をもたせようとした政策ですが、後に荘園を生み出す原因になりました。