戦国武将と茶器

現存する戦国時代の茶器

松永久秀(1508-1577)が、名物「古天明平蜘蛛」とともに爆死したという話がありますが、実際のところはよくわかりません。
久秀が実物を持っていなかったという説も会います。

最終的に織田信長(1534-1582)を裏切った久秀ですが、信長が上洛したときは、一度降伏し、そのときに「九十九髪茄子」という名物茶器を信長に差し出しました。

「九十九髪茄子」は、南宋~元の時代に大陸で作られ、足利義満(1358-1408)が所持していたものだそうです。勘合貿易で輸入したのでしょうか。

室町幕府の全盛期 3代足利義満

足利義満が建てた北山山荘(のちの鹿苑寺金閣)には、日本初の茶室があったそうです。
本能寺の変(1582)や大阪の陣(1614-15)で焼け出されましたが、現在でも美術館に保管されています。

戦国時代どころか、800~900年ほど前の茶器が現存して(しかも戦火に遭って)いるというのはすごいですね。

織田信長の武将、滝川一益(1525-1586)は、1582年の武田氏討伐の功績により、上野一国と隣接する信濃小県郡・佐久郡を与えられますが、名物茶器「珠光小茄子」が与えられず悔しがったそうです。

「珠光小茄子」は、本能寺の変で焼失したと伝えられています。

千利休の弟子は全員武士!?

千利休は、堺の豪商で茶人でしたが、信長が堺境を直轄地とすると、今井宗久、津田宗及とともに、茶堂として召し抱えられます。

豊臣秀吉(1537-1598)の時代になると、引き続き秀吉につけますが、1591年に切腹を申し付けられます。原因は現在でも不明です。

利休には、七哲や、十哲と呼ばれる弟子が居ます。

前田利長(1562-1614)
蒲生氏郷(1556-1595)
細川忠興(1563-1646)
古田重然(1543-1615)
牧村利貞(1546-1593)
高山長房(1552-1615)
芝山宗綱(生没年不詳)
瀬田正忠(1548-1595)
織田長益(1547-1622)
有馬豊氏(1569-1642)
金森長近(1524-1608)

皆武士で、利長は加賀100万石の初代藩主、忠興は54万石熊本藩細川氏の祖です。
古田重然(織部)は、関ヶ原の戦い後にようやく1万石の大名になりましたが、徳川秀忠(1579-1632)に茶の湯を教えています。

記憶力10倍アップ!歴史が覚えられない人の為の暗記法  【歴史の記憶術】 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする