江戸時代の三都(江戸・京・大坂)などの都市人口

安土桃山時代~江戸時代初期

信長、秀吉などによって戦乱がようやくおさまった京都では、上京と下京の間も宅地化し、30万人ほどの人口になったと推計されています。

日本に漂着したロドリゴ・デ・ビベロ(1564-1636)は、

1609年頃の京都の人口を30~40万人、大坂の人口を20万人、江戸の人口を15万人と伝えています。
江戸時代初期は、京都>大坂>江戸という感じでした。

元禄文化は上方中心というのは、こういうことでしょう。

元禄文化の著名人の活動場所

松尾芭蕉(江戸)
菱川師宣(江戸)

尾形光琳(京)
松永貞徳(京)
近松門左衛門(京→大坂)
井原西鶴(大坂)
西山宗因(大坂)
上島鬼貫(大坂)

1750年頃に入ると、江戸100万人以上、京都大坂は各40万人ほどの人口と推測されています。

18世紀後半、田沼時代と言われる時期の宝暦・天明文化の時代になると、幕府の規制を物ともせず、江戸の町人文化が盛んになります。

宝暦・天明文化の著名人の活動場所

与謝蕪村(江戸→京)
司馬江漢(江戸)
東洲斎写楽(江戸)
喜多川歌麿(江戸)
田村藍水(江戸)

池大雅(京)
上田秋成(大坂)

横井也有(名古屋)
本居宣長(伊勢)

他の都市だと、尾張藩の名古屋、加賀100万石の金沢が10万人ほど
長崎や堺、広島、和歌山、鹿児島、仙台の最盛期が6万人ほどと推定されています。
長崎や堺は貿易都市、ほかは御三家や外様大名の大藩の城下町です。

江戸の人口は、町人だけで50万人前後いました。
1693年、元禄の頃に35万人
1721年、8代将軍吉宗の頃には50万人に達し、幕末までは50~57万人で推移しています。

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