江戸幕府第10代将軍 徳川家治 年表
1737年 江戸城西の丸で生まれる
1741年 元服、権大納言
1754年 閑院宮直仁親王(東山天皇の第六皇子)の娘・倫子女王と結婚
1760年 将軍宣下、正二位・内大臣
1761年 第9代将軍、家重死去
1764~5年 中山道伝馬騒動(10万人~30万人が参加したと言われる一揆)
1767年 田沼意次が側用人となる
1772年 田沼意次が老中となる
1779年 子の家基が急死
1779年 老中首座の松平竹元死去、田沼政治の始まりと言われる
1771年 後継者として、一橋家当主・徳川治済の長男・豊千代(家斉)を養子とする
1782年~ 天明の大飢饉
1786年 死去 死因は脚気衝心(脚気による心不全)と言われる
病弱で言語不明瞭な家重の子でしたが、子供の頃は聡明だったため、祖父の吉宗に可愛がれました。
将軍になってからは、政治は田沼意次に任せ、将棋などの趣味に没頭したため、無能な将軍という評価をくだされることも多いです。
田沼意次といえば、以前は汚職政治家の代表のように言われていましたが、近年の再評価により、将軍、家治の評価も変わってくるかもしれません。