本多静六(1866-1952)は、慶応、明治、大正、昭和を生きた、林学者、投資家として知られています。
「月給4分の1天引き貯金」をもとでに、投資で一財産を築きました。
蓄財や資産運用について、「私の財産告白」という本に書かれています。
具体的な金額が書いてあるので、当時の物価を知ることができます。
戦争でかなりの資産を失いましたが、晩年の収入は、
恩給が年7万円余
貸家貸地収入が約3万円
畑の生産物を金に見積もって合した全部が我が家の年収である
となっています。
当時の物価はどのくらいでしょうか?
とあるサイトによると、
1952年の大卒初任給は6500円
ラーメン25円、映画館100円
だそうです。
現代の20分の1~30分の1くらいでしょうか。
そう考えると、現金収入は年200万円~300万円
物価が安いとはいえ、結構カツカツな感じがします。
最初、「大卒初任給の10倍以上の年金か~」と勘違いしましたが、
月額と年額を比較していることに気づきました。
インフレの終止、
終戦直後のインフレは、ハイパーインフレと言っていいレベルです。
1947年には、年率125%に達しています。
1949年に、デトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが提案したドッジ・ラインというデフレ政策が行われ、デフレと不景気に見舞われましたが、1950年の朝鮮特需により、好景気になっています。