当時は新しかった鎌倉時代の新仏教


政治の主役が貴族から武士に移り、仏教思想にも大きな変動がありました。

新仏教と言われる宗派があり、「旧仏教」からの分家と、中国から輸入された、今までに日本になかった「ZEN」というナウい仏教があります。

それまでの仏教は、国家や天皇家の永続を願うようなもので、
庶民とはあまり関係のないものでしたが、
新仏教は、「念仏を唱えれば救われるよ~」的な、
庶民にとってもご利益がわかりやすい物が多かったようです。

既存の仏教から別れた宗派

浄土宗

法然(ほうねん 1133-1212)は、比叡山で天台宗の教義を学び、後に浄土宗の開祖とされます。

教義をものすごく要約すると、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えです。

主な著書として、『選択本願念仏集』(『選択集』)があります。

浄土真宗(一向宗)

親鸞(しんらん 1173-1263)は、浄土宗を開いた法然の弟子で、40歳ほど下です。当時なら親子、下手をすると祖父と孫くらい離れています。

親鸞自身は、法然の弟子で一生を終えました。

「浄土真宗」という宗派となったのは、親鸞の没後です。

浄土宗が「念仏を唱えれば救われるよ~」という教えなら、

浄土真宗は、「阿弥陀仏を信じれば救われるよ~」と、更にライト感覚になっています。

親鸞の著作としては、『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)
また、弟子の唯円が書いたとされる『歎異抄』(たんにしょう)が有名です。

時宗

一遍(いっぺん 1239-1289)は、伊予国の豪族の家に生まれ、浄土宗の寺などで修行し、念仏札を配ったり、踊り念仏を始めるなどの遊行をします。

一遍の教えるところによれば、男女の区別や浄・不浄の区別、あるいは信心の区別なく、念仏を唱えれば救われるというものです。

法華宗(日蓮宗)

日蓮(にちれん 1222-1282)は、12歳のときに、当時天台宗だった清澄寺で修行し、後に比叡山延暦寺・園城寺・高野山などに遊学します。

法華経こそが唯一の釈迦の教えであり、「南無妙法蓮華経」を唱えることにより救われると説きました。
立正安国論』(りっしょうあんこくろん)
開目抄』(かいもくしょう)などが有名です。

宋王朝留学組

臨済宗

明菴栄西(みょうあん えいさい/ようさい 1141-1215)は、
1168年、1187年と南宋に留学し、日本に禅を伝えます。

著書としては、『興禅護国論』(こうぜんごこくろん)が有名です。

1202年、建仁寺を開山。

幕府との結び付きが強いのが特徴です。

曹洞宗

道元(どうげん 1200-1253)は、建仁寺で修行し、その後南宋で修行します。
ひたすら座禅を組んで悟りを組もう(只管打坐)という教えで、昨今のマインドフルネスに近いものがあるかもしれません。

正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)が有名です。

臨済宗と異なり、幕府などの権力者からは距離を置いています。

旧仏教側も、新仏教を批判したり攻撃するだけでなく、新たな布教活動をしたり、
叡尊(えいそん 1201-1290)は、貧者や病人への慈善活動を行いました。

鎌倉時代に、少しずつ宗派として形作られてきた新宗教
実際に社会を動かすような力を持つのは、室町時代~戦国時代にかけてのことになります。

  

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