日本の戦国時代は、Googleさんによると、1467年から1615年だそうです。
応仁の乱から、大坂の陣までですな。
室町時代、安土桃山時代、江戸時代にまたがっています。
Wikipediaさんによると、「日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。」だそうです。
戦乱が頻発した時代区分といいますと、室町時代の間ずっとじゃね?という気もしてきます。
以前は、応仁の乱(1467年)が戦国時代の始まりとされていましたが、乱後も室町将軍にまだ一定の力がありました。
9代将軍、足利義尚(1465-1489)近江守護、六角高頼(?-1520)を討伐しようとしたときは、諸大名や奉行衆2万を動員することができました。
しかし、管領細川政元(1466-1507)の挙兵により、
10代足利義材(1466-1523)から11代足利義澄(1481-1511)に将軍を交代する事件がありました。明応の政変(1493年)といいます。
将軍家が「義材系」と「義澄系」と、南北朝時代の天皇家のように分裂してしまいました。
明応の政変(1493年)を戦国時代の始まりとする説もあります。
戦国時代の終わりはどのあたりでしょうか。
最も早い説としては、織田信長(1534-1582)が、足利義昭(1537-1597)を擁して、上洛した1568年と言われています。
しかし、その後信長と義昭は険悪な仲となり、信長包囲網が結成されます。
武田氏た本願寺との戦闘もあり、平穏が訪れたわけではありません。
織田信長・信忠親子が明智光秀(?-1582)に攻め滅ぼされたあと、豊臣秀吉(1537-1598)が後継者の地位を勝ち取ります。
地方では、まだまだ領地の取り合いをめぐる大名同士の戦闘がありましたが、
秀吉は1585年に九州、1587年に東国に惣無事令を出します。
これは、大名間の領土紛争を禁じたもので、戦国時代の終わりを宣言するものでした。
この惣無事令を根拠に、九州征伐や小田原征伐をおこない、1590年に北条氏を滅ぼします。
これにより、徳川家康(1542-1616)など、主だった大名は秀吉に臣従し、これにて戦国時代の終わりとすることもできます。
しかし、結局は、徳川家康は豊臣家を大坂の陣で滅ぼします。
この間、関ヶ原の戦いという大規模な戦争があったため、これも戦国時代の続きと考えれば、完全に戦国時代が終わったのは1615年、という考え方もできます。
参考:戦国時代の天皇
織田信長の上洛(1568年)
織田信長が将軍・足利義昭を追放(1573年)
豊臣秀吉による惣無事令(1585-87年)
豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)
豊臣秀吉による奥州仕置(1591年)
関ヶ原の戦い(1600年)
徳川家康が征夷大将軍に(1603年)
豊臣家滅亡(1615年)
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