白村江の戦いとは 

白村江の戦いとは

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、
663年に、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍で、
朝鮮半島で行われた戦争です。

唐・新羅連合軍が勝利し、朝鮮半島は新羅に統一されました。

中国では、唐が628年に全土を統一しました。
その頃の朝鮮半島は、高句麗、百済、新羅の三国が鼎立し、歴史的には三国時代と呼ばれています。

644年、唐は高句麗に遠征しました。

ちょうどその頃、倭国は大化の改新の時期に当たります。
歴史的に、倭国は百済と友好的でしたが、唐は新羅を支援し、百済を攻撃します。

660年、唐・新羅連合軍は、百済を滅ぼしますが、百済の遺臣は復興させるために、倭国に救援を求めました。
中大兄皇子は、百済の難民を受け入れるなどしたため、唐、新羅との関係は悪化しました。

倭国は、万を超える大軍を朝鮮半島に送りましたが、これといった作戦もなかったようで、負けるべくして負けたといえるでしょう。

白村江の戦いでは、1,000隻余りの倭船のうち400隻余りが炎上したそうで、亡命を望む百済遺民を船に乗せ、唐、新羅軍の追撃を受けながら、やっとのことで帰国しました。

朝鮮半島は、百済、高句麗が滅び、新羅により統一されます。

唐の恐ろしさを感じた天智天皇は、太宰府の水城などの砦を築き、九州沿岸に防人(さきもり)を配置するなど、唐、新羅の侵攻に備えました。

また、瀬戸内海の各地に砦を築き、都も海に近い難波から内陸の近江京に移しました。

白村江の戦い 関連年表

628年 唐、中国統一
644年、唐による第一次高句麗侵攻
645年 大化の改新
660年 百済の役、百済滅亡
661年 第二次高句麗侵攻
663年 白村江の戦い
665年 唐の劉徳高が使節として来日
667年 唐の劉仁願が、倭国の捕虜を返還
667年 第三次高句麗侵攻
668年 高句麗滅亡、新羅による統一朝鮮時代
669年 河内鯨らを遣唐使として派遣

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