終戦後から朝鮮特需までの経済政策

戦争が終わり、極度の物不足などでハイパーインフレと呼ばれそうな状態になっていました。

1946年2月に幣原喜重郎内閣は金融緊急措置例を発行し、預金封鎖新円切替を行いました。

従来の紙幣は強制的に預金させられ、1ヶ月の引き出し額を1世帯あたり500円に制限するという厳しい措置が行われました。

戦後の生産力欠乏を補うため、第1次吉田内閣は
石炭、鉄鋼の生産に集中させる「傾斜生産方式」という政策を採用しました。

昭和23年(1948)12月19日、日本を間接統治していたアメリカにより、経済安定九原則が示されました。

この頃、アメリカとソ連の冷戦が表面化しており、日本を経済的に自立させる必要がありました。

予算の均衡
徴税強化
資金貸出制限
賃金安定
物価統制
貿易改善
物資割当改善
増産
食糧集荷改善

の、9つの原則からなります。

経済安定九原則を実行するため、デトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジ(1890-1964)が、ドッジ・ラインとして知られる経済政策を立案しました。

超均衡予算、1ドル=360円の固定レート、経済の自由化などが推進されました。

カール・シャウプ(1902-2000)「シャウプ使節団日本税制報告書」、通称「シャウプ勧告」と呼ばれる報告書をまとめ、1949年と1950年の2回にわたり発表されました。

具体的には、直接税中心、間接税の整理、地方財源の拡充などが勧告され、一部政治家の介入などにより異なる形になったりしましたが、現在まで続く税制の基本的な体系が作られました。

これらの政策で、インフレは沈静化しましたが、失業や倒産が相次ぎ「安定恐慌」が引き起こされました。ドッジ不況、ドッジデフレともいわれます。

直後の1950年に発生した朝鮮戦争により特需が起こり、その後は一転して好景気となります。

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