江戸時代以前の本
日本では、昔から本の類はありましたが、
基本的には写本、つまり手で書き写すことが主流でした。
文字を読める人が少なく、本の需要が少なかったので、それで問題なかったのでしょう。
日本最古の印刷本は、8世紀、奈良時代の百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)で、現存している、世界最古の印刷物と言われています。
当時の本といえば、ほとんど仏教に関する本で、
修行代わりに写経することが多かったのでしょう。
写経生徒呼ばれる、写経専門の人が居たようです。
その人達へは報酬が出来高制で支払われていました。
江戸時代になり、世の中が平和になると、公家や武士などの支配者階級だけでなく、一般階層という読者が生まれます。
商業出版が盛んになるにつれて、仏教本が主流だった時代から、実用書や浮世絵などの娯楽本が出版されるようになります。
また、活字版から、再版のときの手間が少ない整版(木版による印刷)が主流となります。
グーテンベルクの印刷術などを知っている現代人からすると、木版よりも活字のほうが新しい感じがしますが、整版のほうが、訓点やフリガナ、挿絵などの細かい印刷ができるので、江戸時代では先進的だったのです。
また、アルファベットと漢字かな交じりの日本語との違いということもあったのでしょう。
江戸時代 商業出版の始まり
京都の冨春堂という書店で1603年に発行された『太平記』が、日本初の商業出版ではないかと言われています。
井原西鶴(1642-1693)は、浮世草子『好色一代男』、日本初の経済小説とも言われる『日本永代蔵』などのベストセラーを生み出します。
当時の大坂では、現代で言う出版社兼印刷所兼書店ともいうべき、書肆(しょし)と呼ばれる店が発達し、町人たちの教養レベルも上がっていました。
18世紀になると、庶民の経済力が上がり、町人文化が盛んになります。
貝原益軒(かいばら えきけん 1630-1714)は、1712年、83歳で『養生訓』を出版します。
健康法を解説した本で、どの本屋にも置いてあったというほどの大ブームとなります。
江戸時代ともなると、健康を気にする余裕が出てきたのでしょう。
蔦屋重三郎(1750-1797)は、朋誠堂喜三二、山東京伝らの黄表紙・洒落本、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵の出版で知られています。
現代で言う、巨大出版社の経営者であり、大物プロデューサーといったところでしょうか。
現代では、TSUTAYAが、蔦屋重三郎にあやかって名前をつけています。
寛政の改革で、幕府批判が取り締まりを受け、蔦屋重三郎は財産を没収されたりしています。
それだけ、儲かっていたということでしょうか。
海外の画家にも影響を与えた、葛飾北斎(1760-1849)は、19世紀に活躍しました。
1814年に出版された『北斎漫画』は、ベストセラーになりました。
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