江戸幕府第15代将軍 徳川慶喜 年表

江戸幕府第15代将軍 徳川慶喜 年表

1837年 水戸徳川家、徳川斉昭の七男として江戸・小石川の水戸藩邸で生まれる。
1838年 水戸に移る
1847年 一橋家を相続 徳川慶喜と名乗る
1859年 安政の大獄で謹慎処分
1860年 謹慎解除
1862年 将軍後見職に
1863年 14代将軍徳川家茂の上洛に先駆けて朝廷と交渉

参考:江戸幕府第14代将軍 徳川慶茂 年表

1863~1864年 参与会議
1864年 3月25日、 将軍後見職を辞任、禁裏御守衛総督に就任
1864年 禁門の変後、徳川慶喜(禁裏御守衛総督・一橋徳川家当主)、松平容保(京都守護職・会津藩主)、松平定敬(京都所司代・桑名藩主)による一会桑政権
1866年 7月20日、14代将軍徳川家茂が大坂城で死去
1866年 12月5日、将軍宣下

1867年 10月14日、大政奉還
1867年 12月 、薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の5藩が、慶喜を排除した新政府樹立を宣言(王政復古)
1868年 鳥羽・伏見の戦い
1868年 2月、寛永寺にて謹慎
1868年 4月、江戸城明け渡し
1868年 5月、上野戦争
1868年 7月、徳川家の駿府移封

1869年 9月、謹慎解除、隠居手当を元手に趣味に没頭する生活を送る
1897年 東京・巣鴨に移り住む
1902年 公爵に叙せられる 貴族院議員に就く
1910年 七男・慶久に家督を譲り、貴族院議員引退
1913年 死去 死因は風邪による肺炎併発

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