江戸幕府第6代将軍 徳川家宣 年表

江戸幕府第6代将軍 徳川家宣 年表

1662年 徳川綱重(家光の三男)の長男として、江戸根津邸にて生まれる
1670年 元服、「綱豊」と名乗る
1678年 家督を継承、甲府藩主となる(甲府徳川家
1704年 綱吉の養子となり、「家宣」と改名

参考:江戸幕府第5代将軍 徳川綱吉 年表

1709年 綱吉が亡くなり、第6代将軍に
1709年 評判の悪かった宝永通宝の流通を停止
1710年 宝永令(17条)発布
1712年 死去、死因はインフルエンザと言われる
3歳の家継が征夷大将軍に

将軍になったときに、すでに48歳
3年後の51歳に、死去してしまいます。

側用人に、間部詮房(1666-1720)
学者の新井白石(1657-1725)を登用し、政治改革を進めます。

綱吉の死後、評判の悪かった「生類憐れみの令」を、少しずつ廃止していきます。

この路線は、7代家継の時代も継承し、
この時代の治世を、正徳の治といいます。

記憶力10倍アップ!歴史が覚えられない人の為の暗記法  【歴史の記憶術】 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする