日本にキリスト教を伝えたザビエル どうやって来た?

髪型しか覚えてないので調べてみた

日本に初めてキリスト教を伝えたのは、フランシスコ・ザビエル(1506-1552)とされています。
独創的な髪型で、落書きされる定番ですね。

ザビエルは、イエズス会の創設者の1人で、イエズス会は現在でも世界に約2万人の会員がいる組織です。

イエズス会は、1534年に6人の同志により結成されます。
日本では、織田信長が生まれた年です。

1540年に、ローマ教皇パウルス3世により、正式な認可を与えられます。

1517年以来、ルター(1483-1546)から始まる宗教改革によって、ドイツを中心プロテスタントの信者が増えましたが、イエズス会の活動により、ドイツなどでもカトリックが盛り返したようです。

世界にカトリックを広めることを目標にしていたイエズス会は、ザビエルなどをインドに派遣することにしました。

1541年4月7日、ザビエル35歳の誕生日にリスボンを出発、アフリカの希望峰を通って1542年5月6日、インドのゴアに到着。

この頃、種子島に到着したポルトガル商人から、鉄砲が伝来します。

参考:戦国時代の鉄砲伝来

インドでの布教後、マラッカ、1546年にモルッカ諸島に赴き、1547年にマラッカに帰ったときに、ヤジロウ(1511?-1550?)という日本人に会います。

貿易商とも海賊とも言われていますが、当時は中国(明王朝)が貿易を禁止していたので、どちらも似たようなものでしょう。

このヤジロウが、日本人初のキリスト教徒と言われています。

翌1549年、ヤジロウの案内で薩摩に上陸、島津貴久(1514-1571)に謁見し、宣教の許可を得ます。

1550年、平戸、また山口の大名大内義隆(1507-1551)にも謁見しますが、ザビエル一行の汚れた服装、仏教や男色を避難するなどで、義隆に無礼者と思われたらしく、布教の許可は出ませんでした。

やはり日本の中心は京都だ、ということで、1551年に京都に到着。

しかし、将軍や天皇には拝謁できませんでした。

4月、再度山口にて義隆に謁見。

前回の反省を踏まえ、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などを献上し、布教の許可をまんまと得ます。

その後、中国での布教を目指しますが、1552年に病を得て死去します。

ザビエルの肖像画は、頭頂部がそられています。

「トンスラ」と言われている髪型ですが、イエズス会にはトンスラにする習慣はなく、
後世の日本人画家が想像で描かれた物と言われています。

ヨーロッパで描かれたザビエルの肖像画は、髪が「ある」そうです。

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