歴史上、最も天皇が貧乏だった時代?
後土御門天皇(1442-1500)
即位の3年後に応仁の乱が発生し、室町第(将軍の御所)に10年間もの避難生活を余儀なくされます。
乱の終結後、朝廷の古来の儀式を復活させようとしますが、うまく行かなかったようです。
応仁の乱以後、中央の幕府や朝廷の収入は激減したと言われています。
崩御した後、葬儀の費用もなく、40日も遺体が御所に安置されたままだったと言われています。
後柏原天皇(1464-1526)
1500年に践祚しますが、即位の礼を挙げたのは21年後でした。
1502年に、将軍、足利義澄(1481-1511)が、献金して即位の礼を挙げさせようとしますが、管領、細川政元(1466-1507)の反対で、このときには即位の礼は挙げられませんでした。
これだけでも、将軍が管領の傀儡になっていることがわかります。
後奈良天皇(1497-1557)
1526年に即位しますが、朝廷が極貧だったため、後北条氏、大内氏、今川氏などの援助でようやく即位の儀が行われたのは、なんと10年後でした。
清廉な人柄であったらしく、当時の天皇ではこれといった政治を実行できる力などありませんでしたが、飢饉や疫病の収束を願い般若心経を写経するなどしています。
正親町天皇(1517-1593)
即位当時の天皇や公家は貧しく、2年間も即位の礼を上げることができず、毛利元就(1497-1571)からの献納により、ようやく即位の礼をすることができるような有様でした。
信長上洛後、朝廷の財政を、信長は援助します。
これにより、信長は勤王家と言われることもありますが、天皇に講和の勅命を出させて危機を乗り越えるなど、うまく朝廷の権威を利用します。
当時のイエズス会の宣教師は、日本には、天皇と信長という2人の統治者がいると報告しています。
信長や秀吉が、皇室の権威を利用して天下人としての箔をつけようとしたため、結果的に朝廷の権威も高まりました。
このころの天皇は、先帝が崩御したあとで践祚するなど、少し前のようにコロコロ変わったりしていません。
そんな余裕もなく、天皇の位にあまり魅力がない時代だったのかもしれません。
100年以上で天皇は4人だけです。
意外と、当時としては長生きしています。
即位の礼などの儀式ができるほどではないが、餓死するほどではなく、足利将軍のように命を狙われることもなかったのでしょう。
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