日清戦争
1875年の江華島事件後、日本と朝鮮は、1876年に日朝修好条規を結びました。
日本の一方的な領事裁判権や、朝鮮に関税自主権を認めないなど、不平等な条約でした。
1894年に、朝鮮で農民反乱が起こると、清と日本が相次いで軍を送りました。
近代化の進んでいた日本軍は、朝鮮半島、遼東半島を攻略し、有利に戦争を進めました。
1895年4月17日の下関条約(日清講和条約)清から、台湾、遼東半島などの領土と多額の賠償金を得て、さらに朝鮮の独立を認めさせました。
1895年4月23日、ロシア、ドイツ、フランスの3国は、遼東半島を清に返還するよう要求し、日本は遼東半島を清に返還しました(三国干渉)。
日本は、下関条約で得た台湾に台湾総督府を置きました。
清からの多額の賠償金で、官営の八幡製鉄所(福岡県)を作りました。
八幡製鉄所は1901年に操業を開始し、やがて日本国内の8割の鉄を生産するようになりました。
日露戦争
日清戦争により、日本に賠償金を支払うことになった清は、フランスやロシアに借金をし、その見返りに、ロシアやフランスは中国大陸の権益を確保しました。
ロシアは清から、遼東半島の旅順と大連を借り受け、中国東北部に進出しました。
ロシアの東アジア進出に警戒を深めた日本は、同じくロシアを警戒したイギリスと1902年に軍事同盟を結びました(日英同盟)。
1904年、日本がロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。
国力、軍事力はロシアが圧倒的に勝っていましたが、日本は旅順を占領し、1905年の日本海海戦で東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊を破るなど、戦果を上げました。
両国とも戦争を続ける国力がなくなってきたため、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介で、アメリカのポーツマスで講和条約を結びました(ポーツマス条約)。
ポーツマス条約の内容
ロシアは樺太の南部(北緯50度以南)を日本に譲る
旅順と大連は、日本が借り受ける
ロシアの南満州鉄道を日本に譲渡する
朝鮮での日本の権利を認める
日本では、日清戦争以上に戦費や犠牲者を出しましたが、賠償金が得られなかったため、暴動が起こりました(日比谷焼打事件)。
朝鮮でのロシアの影響力を排除した日本は、1910年に朝鮮を植民地化し、朝鮮総督府を置きました。
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