中学受験に出る源平合戦

平氏の台頭

平清盛ら平氏は、平治の乱(1159年)で源義朝らを破り、政治の実権を握ります。

平氏は、日宋貿易のために大輪田泊(現在の神戸港西部)を整備し、博多港(福岡県)に日本で最初の人工港を築きました。

瀬戸内海での安全な公開を祈願して、厳島神社(広島県)の社殿を、現在と同規模に整えました。

源義朝の嫡男で、当時13歳だった源頼朝は、平清盛の継母の池禅尼の助命嘆願により、伊豆国に流罪となりました。

源平合戦(治承・寿永の乱)

1180年、後白河法皇の皇子である以仁王が平氏討伐の令旨を発すると、頼朝も挙兵します。

頼朝の従兄弟の源義仲(木曽義仲)は、倶利伽羅峠の戦い(富山県・石川県)で平氏を破り、京都からも平氏を追い出しますが、頼朝との仲が険悪になり、1184年に粟津の戦いで義経(頼朝の弟)軍に滅ぼされました。

頼朝は鎌倉(神奈川県)で政治に専念し、平氏との戦いは義経に任せます。

一の谷の戦い(兵庫県)、屋島の戦い(香川県)で敗れた平氏は、1185年の壇ノ浦の戦い(山口県)で滅亡します。

平氏を滅ぼした後の義経は、頼朝と対立し、東北の奥州藤原氏を頼ります。

当時の当主、藤原秀衡は義経を受け入れましたが、1187年に秀衡が死に、あとを継いだ泰衡に義経は攻め滅ぼされます。

その後、頼朝により、奥州藤原氏は攻め滅ぼされました。

奥州藤原氏

平泉(岩手県)を拠点に、3代約100年にわたって東北地方一帯を支配して栄えました。

砂金などを生産し、朝廷に献上することで朝廷の信用を得ていました。

中尊寺金色堂は、奥州藤原氏初代の藤原清衡が1124年に建立したもので、国宝に指定されています。

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