国風文化と仏教
参考:国風文化の特徴と文学
貴族を中心に、浄土信仰が流行しました。
摂関など、主要なポストは藤原氏に握られたため、
その他の貴族は現世での限界が見えてしまったのでしょう。
来世に救いを求める風潮になります。
円仁(794-864)は、唐から念仏三昧法を比叡山に伝えました。
空也(903-972)は、踊念仏などで庶民にも浄土信仰を広めました。
六波羅蜜寺の開山者とされ、口から念仏が出る像でおなじみです。
病人に茶をふるまったり、橋を架けるなどの慈善的なことを行っており、民衆に大人気だったようです。
源信(942-1017)は『往生要集』で地獄の恐ろしさを説き、「あなち死んだら地獄に堕ちてもいいんですか~?念仏を唱えれば極楽にいけますよ~」的な布教をしたようです。
様々な仏が仮の姿として日本の神々になっているという考え方が、10世紀頃に確立しました。
このような考え方を、「本地垂迹説」といいます。
仏教絵画・仏像
阿弥陀信仰が盛んになり、「来迎図(らいこうず)」と呼ばれる絵画が盛んに描かれました。
「念仏を唱えている人の臨終のときに阿弥陀如来がお迎えに来る」という考え方で、当時の人々はこの絵を見てありがたい気持ちになったのでしょうか。
仏教といえば、仏像彫刻です。
定朝(?-1057)により、寄木造(よせぎづくり)の技法が確立しました。
平安初期の一木造(いちぼくづくり)に比べ、分業が可能という長所があります。
平等院鳳凰堂阿弥陀如来像は、高さ277cmで、
現存する唯一の定朝作品とのこと。
顔の造形も、天平時代と比べ穏やかな感じがします。
『鳥獣人物戯画』もこの時代に描かれた絵画です。
最古のマンガという人も居ますが、仏教的な教訓もあるかもしれません。