平安京に遷都した桓武天皇は、仏教勢力が政治に口出しすることを嫌い、平城京の寺院を平安京に移させませんでした。
この時代(平安時代初期)に現れたのが、最澄(767-822)と空海(774-835)です。
最澄は近江国、空海は讃岐国出身で、ともに遣唐使として留学し、密教を伝えます。
最澄は、入唐前に比叡山に籠り、「一乗止観院」という草庵を建てました。
延暦寺という寺号が許されたのは、823年のことです。
延暦寺は、天台宗の総本山で、最澄は天台宗の開祖とされました。
空海は、816年に嵯峨天皇から高野山を賜り、真言宗の総本山である金剛峯寺を創建しました。
また、京都では東寺(教王護国寺)を賜り、真言密教の道場として栄えました。
天台宗の密教を「台密」、真言宗の密教を「東密」といいます。
空海は835年に入定しましたが、
921年に「弘法大師」の諡号が醍醐天皇より贈られています。
『続日本後紀』によると、空海の遺体は荼毘に付されましたが、
空海は死んではおらず、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入っているとされています。
最澄も空海も、書が有名です。
最澄の書としては、「久隔帖」「請来目録(越州録)」「羯磨金剛目録」が遺されています。
空海の書としては、「聾瞽指帰」「灌頂歴名」「崔子玉座右銘」が遺されています。