鎌倉幕府
源頼朝は、相模国鎌倉(神奈川県)に、侍所(1180年)、政所、問注所(1184年)を置き、幕府の体制を整えました。
1192年に、征夷大将軍に任命されました。
鎌倉は、源氏ゆかりの地で、海と山に囲まれ防衛に適した土地でした。
承久の乱
1221年、後鳥羽上皇は執権の北条義時討伐の兵を挙げます。
朝廷と幕府の戦いになりましたが、幕府が勝利し、後鳥羽上皇は隠岐に流罪となりました。
承久の乱後、幕府は京都に六波羅探題を設置し、幕府の力が西日本にも及ぶようになりました。
元寇
承久の乱から約50年後、当時中国を支配した元の皇帝クビライ(フビライ)は、日本に国書を送りましたが、幕府は無視したため、1274年に元軍は高麗(現在の朝鮮半島)軍とともに対馬・壱岐(長崎県)に攻め入り、博多湾に上陸しましたが、最終的には撤退しました。(文永の役)
再度の侵攻に備え、博多湾沿岸一帯に元寇防塁を築きました。
1281年、再び元軍が侵攻しましたが、暴風雨によって撤退しました。(弘安の役)