鎌倉幕府滅亡と南北朝
後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を計画し、隠岐島に流されましたが、脱出して反幕府勢力結集し、1333年に鎌倉幕府を滅ぼします。
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、京都に戻り、天皇中心の政治を始めます(建武の新政)。
鎌倉幕府打倒に協力した足利尊氏は、後醍醐天皇と対立し、京都で別の天皇を立て(北朝)、足利尊氏は征夷大将軍となり京都に幕府を開きます。後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れます(南朝)。
朝廷が南北に分かれていた時代を、南北朝時代といいます。
室町幕府の発展と衰退
3代将軍、足利義満は、京都に花の御所と呼ばれる邸宅を建て、政治を行いました。
「室町殿」とも呼ばれ、室町幕府の由来ともなっています。
義満は、北山に鹿苑寺を、8代将軍足利義政は、東山に慈照寺を建てました。
1467年に応仁の乱が起こり、京都が戦場となり、室町幕府の権力が衰えました。
応仁の乱を戦国時代の始まりということもあります。
日明貿易(勘合貿易)
日本と、当時の中国の王朝であった明との間で貿易が行われました。
日本では、室町幕府の他に、管領家の細川氏や大名の大内氏が貿易を行いました。
細川氏は堺(大阪府)、大内氏は博多(福岡県)を貿易の拠点としました。
これらの都市は商人によって自治が行われていました。
室町時代の一揆
正長の土一揆(徳政一揆)
1428年に起きた、日本史上で初めて農民が起こした一揆。
近江国(滋賀県)の馬借(運送業者)が借金の帳消し(徳政)を求めて起こしました。
京都や奈良など畿内一帯に波及し、借金に苦しんだ農民たちが借金の証文を持っている酒屋や土倉を襲いました。
山城の国一揆
1485~1493年の間、山城国南部(京都府)で、在地領主や農民が守護大名畠山氏を追い出し、8年間自治を行いました。
加賀の一向一揆
加賀の本願寺門徒らが中心となり、守護大名を倒し、1488年~1580年にかけて加賀国(石川県)を支配しました。