江戸幕府第8代将軍 徳川吉宗 年表
1684年 紀州徳川家の徳川光貞の四男として生まれる
1696年 従四位下右近衛権少将兼主税頭、松平頼久と名乗る
1697年 紀州を訪ねた第5代将軍、綱吉に謁見し、越前国葛野藩主(3万石)となる 名を松平頼方に改名
1705年 父、兄が相次いで死去 紀州徳川家の藩主に、吉宗と改名
1707年 宝永地震
1716年 将軍宣下
1717年 水野忠之を老中に任命
1721年 目安箱の設置
1722年 小石川療養所の設立
1722年 上米の制
1723年 足高の制
1728年 ベトナムから象を輸入
1730年 堂島米市場の公認
1736年 元文小判の鋳造、流通
1742年 公事方御定書の作成
1745年 将軍職を長男・家重に譲るが実権は手放さず(大御所政治)
1746年 中風を患う
1751年 死去 死因は急性脳卒中と言われる
享保の改革
徳川吉宗が行った政治は、享保の改革と呼ばれます。
享保という元号は1716年~36年までで、吉宗の治世前半20年に当たります。
米将軍と言われるだけあって、新田開発を奨励し、幕府直轄地の石高を400万石から460万石まで増やしました。
飢饉への対策としてさつまいもや、その他農産物の栽培も奨励しました。
広く意見を募集するために、目安箱を設置したり、困窮者のための医療施設、小石川療養所の解説などが有名です。
財政再建のために、年貢を四公六民(4割)から五公五民(5割)に引き上げたことで、一揆が増加しました。
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