壬申の乱とは
壬申の乱は、672年に起こった、天智天皇の後継者を争った、古代最大の内乱です。
大化の改新を行った天智天皇(中大兄皇子 626-672)が崩御し、24歳の大友皇子(弘文天皇 648-672)があとを継ぎましたが、天智天皇の弟の大海人皇子(?-686)が反乱を起こし、大友皇子は自害し、大海人皇子が勝利します。
翌年、大海人皇子は、天皇に即位しました(天武天皇)。
壬申の乱の原因は?
天智天皇の息子の大友皇子と、弟の大海人皇子の戦いということで、後継者争いという見方があります。
当時は、兄弟間での皇位継承が普通でしたが、天智天皇は中国風の長子相続を強引に進めようとしたため、大海人皇子の反乱が成功したという説があります。
天智天皇も天武天皇も、天皇の権力を強化し、中央集権化する方向のため、天武天皇が天智天皇の政治を否定しているようにも見えません。
単純に、叔父と甥による後継者争いなのでは?という気がします。
天武天皇は、「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした最初の天皇と言われています。
関連年表
645年 乙巳の変
646年 改新の詔
663年 白村江の戦い
667年 大津宮遷都
668年 天智天皇即位
670年 庚午年籍作成
671年 天智天皇崩御
672年 壬申の乱
673年 天武天皇即位
684年 八色の姓制定
686年 天武天皇崩御