遣隋使以前の日中関係 5世紀の倭の五王

倭の五王

中国南北朝時代の南朝である、宋(420-479年)に朝貢した王のうち、「讃・珍・済・興・武」のことを指します。

『宋書』夷蛮伝倭国条に記載があり、『古事記』『日本書紀』よりも成立年代が近く信頼できるとされています。

参考:倭の五王が朝貢した南朝の宋

讃は、第15代応神天皇・第16代仁徳天皇・第17代履中天皇のいずれか

珍は、第18代反正天皇

済は、第19代允恭天皇

興は、第20代安康天皇

武は、第21代雄略天皇

というのが有力であろうと言われています。

「遣宋使」の目的としては、中国の先進的な文明を摂取して、ヤマト王権に従わない豪族たちを抑えるためと言われており、後の「遣隋使」「遣唐使」に近い目的を持っていたと思われています。

参考:遣隋使の目的と成果

倭国としては、皇帝から官爵の叙任をしてもらうことで、権威付けを図ろうとしたようです。

ワカタケル大王

稲荷山古墳出土鉄剣」と言われる鉄剣が、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土しています。

この剣にワカタケル大王(獲加多支鹵)の文字が刻まれており、五王のうちの武=雄略天皇と言われています。

埼玉で出土していることから、5世紀末には、ヤマト王権の勢力範囲が九州から関東まで及んでいたことが推測されます。

雄略天皇は、考古学的に実在が想定される最古の天皇と言われています。

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