江戸幕府第4代将軍 徳川家綱 年表
1641年 第3代将軍・徳川家光の長男として江戸城本丸に生まれる
1644年 名を家綱に改める
1645年 元服
1651年 家光死去により、11歳で将軍宣下、内大臣に任じられる
1651年 慶安の変(由比正雪の乱)
1651年 大名に末期養子を認める
1652年 承応の変(戸次庄左衛門の乱)
1657年 明暦の大火(振袖火事)
1663年 殉死禁止令
1664年 1万石以上の大名に領知朱印状を交付
1665年 公家や寺社に領知目録を交付
1665年 日蓮宗の強硬派(不受不施派)が禁制となる
1666年 酒井忠清が大老に就任
1666年 諸国山川掟
1669年 シャクシャインの戦い
1670年 本朝通鑑(全326巻)編纂
1671年 宗門人別改帳を整備
1680年 5月 末弟の松平綱吉を養子とする
1680年 5月8日、死去
武断政治から文治政治へ
家康~家光の時代には、大名の改易(取り潰し)が盛んに行われました。
その結果、浪人(牢人)が発生し、慶安の変(由比正雪の乱)が引き起こされた面があります。
その後、幕府は方針を転換し、家光までの時代を「武断政治」といい、家綱以降を「文治政治」と分けています。
今までは、末期養子を認めていませんでしたが、当主が17歳以上50歳以下の場合に限り、末期養子を認め、改易される大名を減らす方針としました。
伊達騒動や越後騒動など、大名たちのお家騒動がこの時代の事件としてあげられますが、お家騒動が話題になるくらい、平和であったと言えるでしょう。