鎌倉時代というと、源氏の将軍から、執権北条氏に権力が移り、
その後の将軍があやふやですが、実際には9代目までいます。
年数的には、源頼朝も含めた源氏の将軍は20年ちょっとで、
源氏ではない将軍の時代が100年以上続きます。
実権を握ってる北条氏が将軍になればスッキリするような気がしますが、
当時は家柄が絶対なので、御家人と同格と思われている北条氏は
将軍になれなかったようです。
といわれても、現代人には理解し難いですが、とにかくそういうことのようです。
源氏将軍
初代 源頼朝(在職 1192-1199年)
さすがに、日本人のほとんどが知っているであろう名前と思いたい。
鎌倉幕府の創始者ですが、将軍在位は6年6ヶ月と、意外と短いです。
2代 源頼家(在職 1202-1203年)
頼朝の嫡男で、若くして源氏の家督を継ぎますが、将軍在位1年ほどで追放され、北条氏によって殺害されます。
3代 源実朝(在職 1203-1219年)
頼家の弟で、16年ほど将軍の地位にいましたが、頼家の子、公暁に暗殺されます。
実朝に子がなく、源氏の嫡流は断絶します。
摂家将軍(藤原将軍)
4代 藤原頼経(在職 1226-1244年)
ここから、摂家将軍または藤原将軍と呼ばれる将軍の時代になります。
九条家は家格も高く、源氏とは縁戚ではありました。
実権は、執権の北条義時や北条政子が握っており、全くの傀儡でした。
大人になるにつれ、幕政に関わろうとしたため、1244年に譲位させられます。
5代 藤原頼嗣(在職 1244-1252年)
頼経の子で、6歳で将軍になります。
1251年に、頼経が謀反事件に関係したと疑われ、
頼嗣の将軍職も解任されます。
宮将軍(親王将軍)
6代 宗尊親王(在職 1252-1266年)
後嵯峨天皇の子で、母の身分が低いため、将来を心配した後嵯峨天皇と、九条家を排除したい執権北条時頼の利害が一致し、11歳で将軍となります。
全くの傀儡で、何の仕事もないので、和歌に打ち込んだそうです。
1266年、25歳で謀反の嫌疑をかけられ、京都に送還されます。
7代 惟康親王(在職 1266-1289年)
宗尊親王の嫡男で、3歳で将軍となります。
どうせ実権は北条氏が握っているので、子供のほうが都合がいいわけです。
将軍就任期間の大半を、「源惟康」、つまり源氏将軍として過ごしました。
元寇に対抗するための、執権北条時宗の政策の一環という説があります。
時宗の死後、26歳で将軍職を解任されます。
8代 久明親王(在職 1289-1308年)
後深草天皇の第六皇子で、14歳で将軍になります。
例によって、得宗北条貞時の傀儡のため、歌合を主催したりして過ごします。
1308年、貞時により京都に送還されます。
9代 守邦親王(在職 1308-1333年)
久明親王の子で、8歳で将軍になります。
1333年、鎌倉幕府滅亡時の将軍です。
後醍醐天皇の標的は北条氏で、将軍とはいえ、守邦親王は無視されています。
鎌倉幕府滅亡時、北条氏は自害しましたが、守邦親王は出家したとだけ伝えられています。