在原業平(ありわら の なりひら 825-880)は、平城天皇の第一皇子・阿保親王を父に持ち、桓武天皇の皇女・伊都内親王を母に持つという、かなり高貴な血統ですが、皇統が、平城天皇の弟の嵯峨天皇の系統に移ったため、兄の行平(818-893)とともに臣籍降下し在原朝臣姓を名乗りました。
在原業平 3代血統表(桓武天皇3×2)
父 阿保親王 792 |
父の父 平城天皇 774 |
桓武天皇 737 |
藤原乙牟漏 760 | ||
父の母 葛井藤子 |
葛井道依 | |
母 伊都内親王 801 |
母の父 桓武天皇 737 |
光仁天皇 709 |
高野新笠 | ||
母の母 藤原平子 |
藤原乙叡 761 | |
六歌仙
歌人として才能を讃えられ、僧正遍昭、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主と並び、古来より六歌仙とされています。
『古今和歌集』の序文にこの6人が挙げられていますが、六歌仙という言葉は後代につけられました。
『古今和歌集』には30首選ばれるなど、歌の名人と言われるだけのことはあります。
武蔵国の隅田川の辺で〈名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人は有りやなしやと〉
という歌を詠んだとされています。
しかし、近年の研究では、東国に行ったというのは史実ではないとされています。
古今和歌集は、業平の死後25年経った905年に成立していますが、わずか25年でも史実と異なることが書かれたのでしょうか。
東京スカイツリーの近くに、業平橋という橋がありますが、全国に何箇所か、「業平橋」があるようです。
伊勢物語の主人公のモデル
在原業平は、『伊勢物語』の主人公(名前はなく、「むかし、男ありけり・・・」と表記される)のモデルとされています。
同時代の『源氏物語』『古今和歌集』と同じくらいの影響力があり、国風時代の代表的文学作品です。
参考:国風文化の特徴と文学
在原業平 辞世の句
業平の辞世の句は、
「ついに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」
(人はいつか死ぬというのは前々から聞いていたが、まさか自分の死がまさに昨日今日という差し迫ったものになるとは思いもよらなんだ)
江戸時代の狂歌師、大田南畝(おおた なんぽ 1749-1823)の辞世の句、
「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」は、
業平のパロディでしょうか。
かなり現代調になっていますね。
平安時代に比べれば、江戸時代後期などかなり現代に近いですね。