遣唐使の廃止 いつ誰が?

遣唐使の廃止 いつ誰が

遣唐使の廃止は、菅原道真(845-903)によるものとされています。

894年(寛平6年)に、道真は遣唐大使に任命されますが、当時の唐の混乱により、遣唐使を派遣するかを再検討するよう建議しました。

結局、唐は907年に滅亡したため、その前の838年(承和5年)の遣唐使が最後となりました。

参考:遣唐使はいつからいつまで

また、842年には新羅との国交も途絶え、当時日本の権力者であった貴族たちは国際情勢に疎くなり、まさに平安を貪っていました。

中国王朝が分裂に向かうのは、日本が侵略される脅威が減るということなので、そうなるのも自然なのかもしれません。

遣唐使が廃止された後も、民間で貿易(私貿易)が続き、唐物を入手することはできました。

その頃の唐はどうヤバかったのか

唐は、中国はもちろん、西域や中央アジアにまで勢力を誇り、当時の中国史上最高の版図を誇りましたが、安史の乱(755-763年)以降、国力が傾きます。
安史の乱では、一説によると、唐の人口の3分の2、世界人口の6分の1が死亡したとも言われています。

安史の乱以前の遣唐使は、630年から752年までの122年間で10回、
安史の乱以後では、777年から838年までの61年間で4回となっています。

最後に遣唐使が派遣された頃の唐の皇帝は、17代目文宗(在位827-840年)です。
この時代には、実権が宦官に握られており、宦官を抹殺しようとした文宗が、逆に捉えられるという事件(甘露の変、835年)も起きています。
宦官に権力を右られるというのは、後漢末期を連想させます。

859年に裘甫(きゅうほ)の乱、868年にホウ勛の乱が起き、874年から10年間続いた黄巣の乱により、実質的に唐は滅亡します。

その後、960年の宋による統一までの間、五代十国時代という群雄割拠の時代になります。

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