幕藩体制
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1603年に征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開きました。
江戸幕府は、全国の土地を領地として大名に与え、統治させました。
大名が治めた地域を藩といいます。
このような支配制度を、幕藩体制といいます。
幕府が直接治めた土地(直轄地)を、天領といいます。
約400万石と言われる年貢収入に加え、長崎、大阪などの重要な都市や、佐渡金山(新潟県)、石見銀山(島根県)などの鉱山を天領とし、それらから得られる収入を幕府は独占しました。
大名のランク分け
江戸幕府は、大名と徳川氏との関係に応じて、大名を「親藩」「譜代大名」「外様大名」に分けました。
「親藩」は、徳川氏の一族で、将軍家に次ぐ地位として、御三家が創られました。
御三家は、水戸(茨城県)、尾張(愛知県)、紀州(和歌山県)を治めました。
「譜代大名」は、関ヶ原の戦い以前から徳川氏の家来だった大名で、
幕府の主要な役職は、「親藩」と「譜代大名」から選ばれました。
「外様大名」は、関ヶ原の戦い前後に従った大名で、江戸から遠い領地を与えられ、幕府の要職にはつけられませんでした。
参勤交代
江戸幕府は、大名が反抗できないようなシステムを作り上げました。
3代将軍徳川家光の時代に始められた参勤交代という制度は、大名に自分の領地と江戸を1年おきに移動させることを義務付けました。
これにより、遠方にいる大名ほど、経済的な負担が大きくなりました。