冠位十二階は、603年に聖徳太子(厩戸王)が制定したとされる制度です。
『日本書紀』によると、上から
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智
という冠位が制定されました。
『隋書』によると、
大徳・小徳・大仁・小仁・大義・小義・大礼・小礼・大智・小智・大信・小信
という順序になっています。
冠位十二階制定の目的は、『日本書紀』に記載はなく、
家柄にこだわらず優秀な人材を採用するためと
外交使節に然るべき肩書を与えるためと考えられています。
冠位十二階以前は、姓(かばね)により官職が世襲されてのに対し、冠位は個人に与えられ、世襲されないという特徴があります。
朝鮮半島の高句麗・新羅・百済に類似した制度があったようです。
『周書』によると、百済には16段階(一品官~十六品官)の官位があり、中国にも三国時代以来の官品制度がありました。
中国や朝鮮半島の国との外交では、どのくらいの地位かという目安がつくほうが都合がよく、日本にもこのような制度が整った文明国ですよというアピールにもなったのではないかと言われています。
遣隋使の使節として有名な小野妹子は、大礼(12階の上から5番目)の冠位で派遣され、最終的に1位の大徳まで昇進しました。
参考:遣隋使の目的と成果