江戸時代まで続いた織田信長の子孫

本能寺の変で、織田信長は、嫡子の信忠(1557-1582)ともども討ち取られてしまいます。
信忠は二条御所で自刃しました。

その後、豊臣~徳川の世の中になりますが、信長の子孫は、旗本などに取り立てられて江戸時代にもなんとか続くことになります。

織田信雄(のぶかつ、のぶお 1558-1630)

小牧・長久手の戦いで、徳川家康とともに秀吉と戦って、
家康に無断で和睦したり、フロイス(1532-1597)に否定的に書かれていたりするので、無能と思われがちですが、実際のところはわかりません。

1615年に家康から大和国宇陀郡、上野国甘楽郡などで5万石を与えられ、大名となっています。

1630年徳川家光(1604-1651)の治世まで生きました。
家を遺すということには成功しているので、無能とまでは言えないでしょう。

織田信高(1576-1603)

信長の七男で、1603年に28歳でなくなります。
嫡子(信長の孫)の織田高重(1602-1661)が家督を継ぎ、1606年に家康に拝謁し、旗本に列せられ、明治維新まで家が続いたそうです。

織田信貞(1574-1624)

信長の九男で、秀吉の馬廻りとなりますが、関ヶ原の戦いでは西軍につき、戦後改易されます。
大坂の陣では徳川方になり、孫の貞幹(1653-1721)は尾張藩士となりました。

番外編 織田長益(1547-1622)

信長の弟で、織田信秀(1511-1552)の十一男です。
有楽斎という合名のほうが有名です。
東京の有楽町という地名の由来とされています。
茶道の有楽流が確立し、また子孫が外様大名として幕末まで続きました。

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