国学の代表的な四人を、国学の四大人といいます。
荷田春満
荷田春満(かだ の あずままろ 1669-1736)は、京都にて神官の子として生まれ、
『万葉集』『古事記』『日本書紀』などを研究し、仏教や儒教の影響を受ける前の復古神道を提唱しました。
主な著書に『万葉集僻案抄』『春葉集』『創学校啓』『伊勢物語童子問』など。
賀茂真淵
賀茂真淵(かも の まぶち 1697-1769)は、遠江国浜松の出身で、荷田春満に師事し『万葉集』などの古典研究や、朱子学を否定し、古道説を提唱しています。
本居宣長が弟子なのですが、「賀茂真淵」で検索しても、知名度が違いすぎるのか、本居宣長ばかり出てきます。
本居宣長
本居宣長(もとおり のりなが 1730-1801)は、『古事記』の研究をした人として知られています。
35年もかけて、『古事記伝』を著します。
「もののあはれ」という概念も、本居宣長が提唱したものだそうです。
『源氏物語玉の小櫛』『玉勝間』『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』など、著者多数。
門下生も、489人いたと伝えられています。
平田篤胤
平田篤胤(ひらた あつたね 1776-1843)は、出羽久保田藩に生まれましたが、20歳のときに脱藩し、江戸に出ています。
大八車を引いたり、飯炊きなどをしながら、医学、地理学、天文学を学んだそうです。
現代なら新聞配達やUber Eatsしながら大学に通っている感じでしょうか。
他にも兵学者の養子になったり、蘭学を勉強して解剖にも立ち会うなど、国学とは関係なさそうですが、本居宣長没後の1803年、宣長の本を読んで国学に目覚め、「宣長没後の門人」を自称したそうです。
なんかヤバい人のようにも思えますが、当時の流行語になったそうです。
37歳の時に妻を亡くし、死後の世界に関心を持ったそうです。ますますヤバそう。
学問の関心が宗教的な方向に向いたため、復古神道を発展させました。
篤胤の著書や学説は庶民にもわかりやすく、死後も影響が残りました。
幕末の攘夷や明治の国家神道、廃仏毀釈にも影響しています。
『古史成文』、『仙境異聞』、『霊能真柱』など、膨大な著作があります。